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2014/10/15 20:33:45
感情が秋になると深く、高くなるので一気に書く。
あのね、その時の頭痛と向き合っている私にとって、気分転換になったら頭痛がひく訳でも無い。
そういう言葉は、もう私は中学時分より分かっている事だが、頭痛やかなしさやらを我慢して涙目になっている私を傍から眺めるとそう言ってしまうの?
その我慢は、私は小学校低学年の短い間に耐えなければならない我慢だったので、その時に体力的に「免疫力」が上昇したのではと考えられる。
私は知らないのだけれども、ほぼ「そういった我慢」の状態になるのを第三者から見ると「何か、吐き出したい事があるのか。」と水を向けてしまうのだろうか。
脳内疲労が体力疲労になったり、毎日の何かがきつい状態か。
特に熊が冬眠に入る時期くらいが、私も体力と頭痛の調子がきつい。
色々考えると「久しぶりに、風邪をひきそう」な状態である。
生姜を頬張る様に食べようと思う。

2014/11/02 3:25:57
もう、秋とは言えない位、寒い。
生姜の紅茶を、買い飲む。
何回か飲んだ後、そういえば、此れ、小学生時分にも飲んだなと、思い出す。
2分位は、ぽとぽとと思い出すが、最後の後味の辛さで、忘れる。
一昨日、衣替え中に、見つけたと、昔作った物を見せられた。
その時は、思い出せない。
いくら考えても、何も思い出せない。
何杯目かの生姜の紅茶を飲んだ後、あれと思い出す。
感情も思い出すのに、その頃は古いのか、私は余り思い出せなかった。
なのに、その前頃の事や、新生児頃の事は、まざまざと思い出すが、何回も嫌な思い出で、俗にいう内なる幼少期という私が、あばれてくる。
あばれてくる様に、今の私に眠気の中で、訴えてくる、もう大人になって結婚した、よしもとばななでさえ、その内なる物と格闘しているらしいので、
そのひとより、一般庶民のこの私は、まるで、闘牛士の様に、向かってくる幼少期を避けて過ごしてきた様だ。
新生児期にも、結構何だか苦しい思い出があり、そういった事を大人になろうとして、段々忘れてゆく。
忘れてゆくが、だれでもいつかは、内なる隠れた私を見つけなければならない、記憶の中でも。
闘牛士の様に、幼少期を避けて過ごしていると、急に何かのきっかけで、幼少期が強くなって向かってくる様だ。
幼少期に解決出来なかった事が、年齢で解決出来る様になっても、解決出来なかった事は凄い多くあるのだった。
其れを少しずつ、なんらかのかたちで過ごして、やっと大人になれるのか。
私の場合は、そう考える、ひとまず。
こう思うのは、幼少期に与えられた「大人の概念」からであった。

2014/12/19 22:22:14
私は記憶野に至る頭痛で、記録しておかないと、私も私が分からない様な不安になる事態もあるのではと危惧をした為だ。
開設して当初は、知る人物は、本当に少なく、みな分別のある大人だろうと私は推測していたので、今日まで書いているのだ。
鷲田清一の書籍を読み、私はどの様な存在なのだろうと私について今までより深く分析をして来たが、其れは年月を経過しても、同じ考察に至り、結論が同じものでは無いのに、この頃、気が付き始めた。
他所のひとより、頭痛があるので、そういう分析を多くして来たのだろう。
何度か頭痛で、今までの記憶が余り思い出されなくなった事もあった。
こんな私の状態は、世界中探せば、結構存在しているのは、明らかで、今も何処かで、同じ様に頭痛を伴う事故が多発しているのも事実だ。
ただ私の分析を私以外には出来ない範囲において考えていた。
なるほど鷲田清一も河合隼雄も、一貫して「誰かの為にもなる」から書いているのか、というとそんな日々ばかりでは無かっただろう。
この様な私の文書は、私ばかりしかふりかえられないので、本当には私が生きていく私を救う為だけに、書いているのだった。
『智恵子抄』が、高村光太郎だけの妻の看病日記だったのが、始めなのと同じである。
彼も彼女の精神が彼と話せる世界に帰って来る事を、ねがっていたのだし、私が私自身の為だと他方に向け、明記しても良い年頃だろうと思ったのも、以前より、おとなに近くなった成長記録とほかならないのだ。
苦しい時の自身と向き合って話そうとする時、一番分かりやすいのは修験道の修行の「バンジージャンプに近い山の底を見つめる」事を想像したら?
其れは、死との直面であって、そういう仮死の状態の様な息苦しさを体験したものなら、自身と対峙するのが、精神的な闘牛の状態であると表現した私に「あ うん」と思うだろうか?
修験道の修行を想像しても、息苦しさをおもわないひともいるのは推測出来る。
「山の底を見つめる」のは、肉体的な極限なのだけれども、精神的な極限にいても、その場面にいないひとが周りにいたら、多分そのひとからは「何でもない」と救われる言葉等を言われるのかも知れない。
しかし「山の底を見つめる」精神的な極限にずっといるひとには「蜘蛛の糸が切れた」様に感じられる事も分かる。
何故、精神的な極限だと思ってしまうのか、其れは通り過ぎる事が出来るものなのだぞと、今日も山越え阿弥陀図は教えてくれているのだったり、もうすぐ寺社仏閣での御神籤で教えて貰えるのかも知れない。ひとが生存出来ているのは、そういう力と自然からの食べ物であるし、食べ物を食べない生き物は、余りいないのだし、そういう事は地球が出来てからずっと同じなのに、どうして命を奪う事を思ってしまう世界なのかと憤るのが、不動明王などで、其れでも良く分からないからとうまれたのが、妖怪なのか。

2014/12/22 2:42:28
私について、前述した様に「私自身しか、良く分からない。」という事が、私には明確に納得出来た。
ずっと分かっていた筈なのに、私については、頭痛の中で、ずっと知っていた事も忘却していて、この頃、何故忘れていたのだろう、大事な事だった筈なのに!と、
ふと分かる様になって来た。
この冬も、無事に過ごせる様に。

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