個人的覚書の2!6 (C)Copyright:ituko*tukiyama-kh 2003-,naginal,All Rights Reserved.
.................................................................................................

2015/09/25 01:25:59 
先程、強い地震があって、阪神淡路大震災をふと思い出しそうになった。
数日前は、北の方が揺れていたりしていたかも知れない、北の方にも知り合いが昔はいた気がするから、思うだけだった。
インターネットの歴史は浅いから、それ以前の生活なんて今の中学生位には余り分からないかも知れないし、数年もかけて、ある日の事を、客観視して判断してどういった事だったのかと悩む事も昨夜(2015年9月23日)にあって、図解しないと同じ事で悩む気がするけれども、そういった些事は5分と記憶に浮かばない。
本当に其れで良いのかも知れない、海馬として眠っている記憶だったのか。
中学の頃辺りの言動を、親がする様になって来たけれども、私の家の場合、外的要因で擬似的になっているので、何でそんな事を、と思う。
数年前の事だったのかが良く分からないのか、温故知新とは言い難い様な事である。
数ヶ月前は、やっと昔からある古い作品のあるサイトの作品を読んで、おかしい、此れ読んだ気がする、読んでいたと記憶が戻るのを一瞬ずつ、思い出す。
馬鈴薯を作者が植えた話(古いのでタイトルも思い出せなかったけれども、読んでいた本のにおいがした、インターネット上のテキスト文なのに。)、
高村光雲の作品は、読んでいない!と思っていて、今現存しているのか良く調べていないけれども、仏像のはりぼてか何かの話なのだが、
「あれ、この人物名、見覚えがある。」と思った、今は懐かしい、番組で授業等で観ていたとか、そういう思い出だった。
丁度、あれは『風立ちぬ』等を読んで、授業で勉強していた周辺の時代の事を勉強しておこうと思った時期だった。
昔はどうだか知らないけれども、社会で勉強した物を、今度は英語の授業で勉強したりしていて、興味があるというより、小学生時分に観た映画が、きっかけだった。
問題意識に、好き嫌いは関係無いので、どうして、このひとたちは、このようになってしまったのだろう、と漠然とした怒りもあっただろう。
思い出す事は少ないから、何度も何度も、幾つかの年齢の時の事を思い出すのだった。
珈琲の代用品は、私も良く飲んだ、そういう味覚的な物が記憶野から思い浮かぶのだった。


2015/12/02 14:14:11
2015年11月30日午前、水木しげる(氏)が亡くなった。多臓器不全。極楽往生をねがいます。南無阿弥陀佛、合掌。
水木しげる作品は、ほぼ良く知らないけれども、90数年も生存して来たというので、それなりのファンが多い事と思うし、私の小学生時分には、丁度「古い擦り切れた」ゲゲゲの鬼太郎が放映されていて、風邪やインフルエンザの時にしか、ほぼ観ていないので「特別感」があった。
アニメについて余り知らなかった私が、何故か少し詳しくアニメのシステムについて知ったのも、多分この年代の頃で、丁度、ジャングル大帝も再放送か何かで、教室ではそういった話を朝にしていた。
其れが、アニメ映画は親が映画館には連れて行って貰えないのは当たり前の家庭で、私も映画館等に行くと貧血の様な症状(大画面の為、ひきつけでも起こしているのだろうかと昨日、眠りながら思い起こした。)があって、誰もそんな症状が出ないのか出ているのに、臨場感と勘違いしているのかで、私は基本的に「何で大画面で、観ないといけない」と知識は無いから、映画館の存在が良く理解出来ていない年だった。
その頃は、犬が海を渡る映画に、話だけ聞いて、はまっていた(会いたくて、無理してでも会いに行くという人間は出来る事だと思っていた事を、犬がした、モデルの犬もいる!という生物学的な幼少期の驚きから、そして、登場する人物が「湘南」の言葉だったと思うけれども、私は幼少期の記憶の中にある方言と似ていると錯覚していたという一連の感傷からであった。)りと、更級日記の作者が書いた作者の幼少期の事と同じ様な「情報が余り入って来ない、余り得られない田舎の人」が多かった昭和を思い出す。
ゲゲゲの鬼太郎のアニメ化がされる度に、番号をつけてあってアニメを作者が作っている訳じゃないとか、知らない頃で、今説明しようとしたら、どのアニメ化の頃か知らないのである。
「古い擦り切れた様なフィルムで、音声が若干ずれている」物を観た頃、春だったのか、風邪をひきそうな頃で、「風邪をひいた頃に鬼太郎が子供に視せた教室の風景」が印象強く残っている。
私が苦しくても、先祖とか先祖の知り合いとか見守ってくれているから、私は自害もせず、生きているのかと、すっと思った最初の出来事だった様に思った。
勿論、主人公の性別で、その性別以外の子が話題にしたらタブーの様な変な意識が、教室にあって、現在だったら「其れはおかしいのだ。」と思えるひとも多いと思う。
戦隊物だって、アニメになったのは、ほぼ美少女戦士セーラームーンしか無い位だったから、あのように長く続くのは、親も昔の価値観が厭だった家庭が熱心に観たからだったのだろう。
あのアニメの原作は少女漫画だとは、余り知られない物が多いのだろうと思う。
何故だろう、幼少期には違うアニメがあったけれども、セーラームーンの様に、現実味がある作品があったかは知らない。
水木しげる(氏)が、ハンバーガーを食べ始めた写真を公式ホームページで見た時、健康的な心配があったのは、私の祖母もそういった味が好きになった頃があったからだ。
私が魔法陣さえ描ければ、世の中変えられると一時期、間違った事を、クラスメートと熱心に話していたけれども、その常識は平安時代前期位、古い。


2015/12/31 (木) 0:22:19
脱水症状!になってしまった。数日前の出来事である、物凄く危険、今は健康充電中。
湯あたりレベルが上昇していて危険だった。
脳血栓の予防に、ココナツoilを溶かして飲む。
何故、其処で顔面強打か、進めない!といった一連の症状があった。
水を飲んでおけばという後悔。
自力で必死に水場迄行った、眠気に勝った。
眠気が強くて大変だった。
作業と化した事をやっていた時は、こんな症状は無かった。
塩分濃度40%の水を作って飲んだ。
今は、安静中。
リハビリ的に、短文なら書ける。
丁度、blog更新→さて水飲もう→疼痛(軽め)→水を飲んだよね(飲んでない!)を繰り返し→湯あたり(何これ、場所分からない。)であった。
今日は、少しゆるゆるとした日にした。
石焼き芋の車が来そうな寒さの時、多分、冬の疼痛があって、塩分濃度70%の水、長崎の米で急ごしらえの塩分高めのおにぎりを食べた。

2016/02/08 (月) 18:31:46
石焼き芋というと、昭和の頃の物なのだろうが、平成頃も食べたが、大体小学校低学年の頃迄しか購入して食べていないので、全盛期は知らない。
小学校低学年頃は、亡き祖父の影響がきつかったのだが、其れ等の記憶を細分化して、しまった原因が、石油の臭いで疼痛がきつくなった2015年だったと思われる。
因みに、美少女戦士とかいう主人公達は、凄く恥ずかしい位の自己肯定能力があった為、その作品は何処と無く、江戸時代の武家社会を思わせるのだった。
人間には、前世等存在しない、存在しているのは、確かな瀬戸内海への願望だ。
瀬戸内海等の海面にうつる夕陽に、今は何処か分からない郷愁を思わせる。
其の郷愁が、先祖への思慕等になって、夕陽の向こうの専修念仏となりえるのだろうか。
北海道でも其の様な思いが生じた。
あの楽器の音色は、北海道でしか聴けない神への音なのだ。


もどる(個人的覚書TOPへ)

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送